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横須賀市議会議員 吉田雄人公式ホームページ
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吉田雄人のプロファイル人間:吉田雄人のできるまで・・・
パーソナル・ヒストリー(履歴書)1975年12月 3日生まれ 射手座 A型 卯年本籍地:久村 1991年〜1993年 神奈川県立横須賀高校 時代第46期の生徒会長でした。生徒会長は、1年生の後期と2年生の前期にやってました。生徒会長なのに、授業はサボりがち。あまり「優等生」ではありませんでした(笑)。部活は弓道部(二段)をメインに活動し、ほかに茶道部、文芸部、写真部、囲碁部(六級)、グランチ(ボランティア同好会)などに入っていました。当然「部活に入りすぎでは?」という声は、当時からたくさんありました(笑)。 3年生のころの文化祭では、クラス演劇「ベニスの商人」の脚本を手がけたり、また実行委員企画ではPKO派遣の是非を問う全校生徒参加のイベントをやりました。今では懐かしい思い出です。 ![]() 部活とは別に、個人誌(写真右)を刊行していました。 1994年〜1998年 早稲田大学政治経済学部政治学科 時代留年したので、5年間大学には通いました。3年生の頃から、一人暮らし。学費以外は、全部アルバイトで稼いでいました。サークルは主に雄弁会に所属していました。4年間、アイデンティティと他者性の観点から、文化論や自治論、コミュニケーション論を研究・議論していました。このときの活動や仲間は、何ものにも代えがたいものです。 ![]() ほかにも、水泳サークルや国際交流のサークルに所属していました。また、4年生の頃、雑誌サークル「第三文学部」を創刊し、発行人を務めていました(写真右)。時代に先駆けた、本格DTP編集の雑誌でした。 3年生からのゼミは、梅森直之ゼミナール(日本政治思想史)に所属していました。卒論は、あえて韓国の小説(鮮于W「背面」)を取り上げて、イデオロギーの中における「主体性」の揺らぎを批判的に論じました。この論文では、朝鮮半島の2つの特徴に注目しました。ひとつは、民族も言語も宗教も一緒なのに、国家が二つ存在している点。もうひとつは、日本の植民地であった歴史の中では、民族も言語も宗教も違う別の国家であることを強制されていた点です。 4年生の頃は、中止になった早稲田祭復活のため、「祭組」を結成し、二年間にわたり活動していました(そこで行った提言等については→こちら)。けれども、結局学校側の独断により開催には至りませんでした。 1999年 イギリス・ロンドン 短期留学(3ヶ月間)イギリスの文化・伝統のすばらしさと、時代と不整合を起こしているそのひずみを、肌で感じました。勉強よりも、地元の英国人や、東欧や南米から来ていた友だちと遊んでいた記憶ばかり思い出します(笑)。 1999年〜2001年 アクセンチュア株式会社会社では、本当に多くのことを勉強しました。とくに経営のこと、お金のこと、ITを使った行政改革のこと、プロジェクトマネジメントなどについて、学ぶことができました。具体的には、下記のプロジェクトに参画しました。2002年〜2006年 早稲田大学大学院政治学研究科会社を辞めたときは、政治家という職業を意識していましたが、すぐに政治家になろうと思っていたわけではありませんでした。「中身のない政治家になりたくない」と思っていたので、まずは、勉強することからはじめました。結果的には、勉強の途中で立候補したわけですが、2006年の3月にようやく4年間かけての卒業となりました。政治学の修士号の取得です。論文は「地方議会活性化のためのIT化施策の可能性と限界 〜地方議会IT化施策の事業評価より〜」というタイトルです。 ・論文の概要(PDF:15kb) ・論文の全文(PDF:582kb) 2003年4月〜 横須賀市議会議員4月27日の市議会議員選挙で、皆様のお陰さまで、最年少(27歳)・最高位(5,911票)にて当選をさせていただきました。告示日の4月20日は、私が生まれてからちょうど10000日目でした! 残りの10000日は、その恩返しに使いたいと思います。 |
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